福音と混沌の狭間に揺蕩ふ ~実録・市原繭的軌跡~


 2009年7月zion chamber orchestra the 2nd concertより



 zion chamber orchestra



 コンサートマスター:白井篤(NHK交響楽団2nd.Violin Vorspieler)








 指揮:市原 繭






ジオンチェンバーオーケストラ、再び

2009年1月、ウェーベルンのパッサカリア&マーラーの交響曲第4番での鮮烈なデビューから 半年の沈黙を破ったzion chamber orchestraの新たなる伝説の第2章が此処に始まる!




市原繭と言う名は、既に指揮者・市原繭としての認知が高い。
それは市原自身の預かり知らぬ事であり、指揮者としての活動に留まらず作曲家や編曲家として映画音楽をはじめ最早、指揮者としてのフィールドに囚われることなく活動の場を広げつつある。

市原自身、自らを「指揮者」と称する事を憚り、本人曰く「新宿系濡れ場の音職人」等と称する。
そんな彼女ではあるが、昨今のコンサートに於ける聴衆の指揮者・市原繭への思いを市原は「どこ吹く風」と思って居るのであろう。
インターネット上のコンサート・レビュー等で彼女を評する時に用いられる愛称がある。

『寝起きの雌ライオン』『暴れる猫』『福音と混沌のマエストラ』『天国の扉と地獄の釜の蓋を同時に開けられる至高の存在』等・・・

クラシック系ポータルサイトであるコンサートスクエアーをはじめ、市原への寸評を幾つか列挙してみる。

「ブログで彼女の存在を知り前回のマーラー交響曲第4番を聴き、ある方が仰っていた「破天荒で浮世離れした孤高の天才女性指揮者」という言葉に納得してしま いました。
今まで聴いて来た私のベト7感を払拭してくれる筈だ」

「前回初めて聴きに行かせていただきましたが、指揮者の市原繭さんの醸し出すオーラがとても印象的でした。
輝かしいコンクールの受賞歴がない、まだ 無名の指揮者の中でも特に素晴らしく、存在感がある方だと思いました。
稀有な指揮者、優秀なオーケストラで
いつもの名曲がどのように再現されるのか、期待を感じました。」

「初々しさは消え半年間の充電で洗練されたように思えた。
黒髪のロングヘアーを降ろしていた前回とは違い今回の茶髪のロングヘアーを束ねた様は、見 えない何かと闘うサムライの様であり憔悴と窶れた感じを微塵も感じさせない魂の叫びのようなエネルギッシュな音楽で、命を削りながら醸し出す妖艶なオーラ に心を打たれた。」

「ほぼ同世代の指揮者とコンサートマスターによる若い演奏家達によるオーケストラ。
指揮者の市原繭さんのブログを拝見し3~4回のリハーサルと知 り、僅かな時間で仕上げたとは思えないクオリティの高さに驚きました。」

「フィンガルは形容する言葉も見つからないほどの「まさに圧巻!」という他に言いようのない名演。
「のだめ」でポピュラーになり過ぎたベト7は、プ レッシャーなど全く感じさせない斬新かつ圧倒的な快演!
表街道を行く同世代の西本智実とは対照的な市原繭のストイックさに衝撃を受けた。」


ある音楽ファン(厳密に言えば、女性指揮者ファン)のWEBサイトで心無い揶揄もされて居るのも事実である。
ある若い女性指揮者を評して
「年齢的にも西本智実や市原繭よりも若いので、今後の活躍が楽しみです」

市原繭は1971年の2月7日生まれであり西本智実は1970年4月22日生まれで、云わば同学年に相当するからであろう。
本人同士は互いに面識も無く、一部のクラシックファンや女性指揮者へ注目す人々にとって、あまりにも対照的な存在であるが、同時に音楽以外の部分での噂や話題も事欠かない
点では、西本智実とは異なり市原はブログ等を通じて自身の生き方や信念や思想から日常の些細な事まで赤裸々に自らの言葉で情報を発信して居る事ではないだろうか。

2009年までの7年間も音楽活動を封印し、活動を再開させた所以は彼女自身のブログで知る事とが出来る。
音楽と無縁な空白の期間に人間・市原繭として人生遍路とも言うべき様々な経験があってこそ、楽壇に舞い戻って来た市原が僅か1年にしてこれ程の注目を集める底知れぬ人間的魅力と音楽性でありロシアの巨匠指揮者であるワレリー・ゲルギエフ氏を彷彿させる「闘う指揮者」としての片鱗さえ窺える。

市原自身がブログ上で表明している通り、健康上の不安から最近では過酷なコンサートを控える傾向が見られる。
病状は一進一退であり小康状態であるが、市原本人は「自分にとっての音楽活動は、この世に留まる為の命綱に過ぎない」と語って居る。
故に世間的な期待とは裏腹に彼女自身の音楽活動への葛藤や苦悩は第三者には計り知れない壮絶なものであると想像出来る。

空白の7年間を経て世俗への執着を断ち切った現在の市原が度々口にする言葉がある。

『浮世の事は、笑って過ごすが勝ち』

そんな彼女は親交の深い知人達へ冗談交じりに「さっさとマーラーの交響曲第9番を振って、生臭い楽壇と決別したい」と・・・

その様に日頃から他愛のない言葉を発する彼女を見守る音楽雑誌(弦楽器専門誌)『サラサーテ』の発行人であり先述の西本智実を弱冠31歳の頃に見出した佐瀬氏は市原を
「熱血かつ爛熟。情熱と信念故の情念が燃えさかっている指揮者」と評して居る。

また最早揺ぎ無い賛辞として逸早く市原へ注目したのが、音楽評論家である前島良雄氏(翻訳家・ウイーン国際マーラー協会会員)であった。
彼女の楽壇復帰コンサートでのウェーベルンのパッサカリア、マーラーの交響曲第4番を評して
「世俗に対する市原の抱くもどかしさが美しくもあり悲哀に満ち、また因襲的な発想や思考に縛られない自由で新鮮な目で曲に相対し、今までに演奏され尽くし た感のある交響曲や管弦楽曲のスコアから、全く思いがけない陰翳を備えた響きを引き出すことができる稀有な可能性の持ち主である」と絶賛すると共に同世代のコンサートマスターである白井篤氏(NHK交響楽団2nd.Violin Vorspieler)を筆頭にオーケストラの各パートの主席陣である在京プロ・オーケストラの名立たる名手達と共に音楽大学在校生や卒業後間もない20代の若き演奏家達を牽引し綱渡り的なスケジュールを余儀なくされる物の本番3週間前からの僅か3~4回のリハーサルでクオリティの高い演奏を作り上げるオーケストラ・ビルダーとしての手腕と演奏家達への愛情溢れる「指揮者の威厳」とは無縁な茶目っ気と音楽への妥協を許さない綿密なスコアのアナリーゼに裏付けされた計算し尽くされた緻密且つ独特な音楽語法による表現手法は、市原繭にしか為し得ない天下無双の市原節とも言えよう。

現在39歳の市原は、決して恵まれた順風満帆な音楽人生を歩んで来たとは言えない。
不遇な時期を経て今後40代・50代と、歳月を重ねる事で彼女の指揮者として円熟の域への道を辿るのか、彼女自らが口にする早期の楽壇との決別の道を辿るのか・・・

何れにせよ市原繭と云う指揮者は、不世出の天才であるとの確信を得るのに多くの人々にとっても時間は問題ではないと言えよう。

mixiコミュニティ「マエストラ市原繭」の投稿より)


コンサートのチラシ&プログラム(デザイン:市原繭)
  






このチラシのデザインを見たオーケストラの楽員の皆さんが「繭さんって生粋のアニメオタクですね」と・・・
このデザインのテイストを見て分かる人は判るんです。

マエストラの大好きな『エヴァンゲリオン』や『攻殻機動隊』のエッセンスが満載だと云う事を!

"The 2nd Concert of ~"だから良かったものの、誰かがマエストラを諫めなければ"The END of ~"とか、チラシの上にある赤い文字も「あなたは何故、ココにいるの?」とか、意味不明なコピーになっていた可能性がありました。









コンサートの開催にあたり、市原と親交のある方々から寄稿文が寄せられプログラムに掲載させて戴きましたのでご紹介させて頂きます。

~市原繭さんとの出会い~
水間博明(ケルン放送管弦楽団主席ファゴット奏者、同団客員指揮者)

昨年末、ドイツから日本へ赴いた際に繭さんとはじめてお逢いし、音楽を語る熱い言葉に心を打たれました。
現在の日本の音楽界は地位、名誉、お金に翻弄されている音楽家が多い中で、繭さんは自身の音楽に対する確固たる信念を持ち、また純粋に音楽を愛し活動をされている稀にみる素晴らしい指揮者だと思います。
自分の体の限界も省みず無鉄砲なところもありますが、それが繭さんの熱い音楽を引き出しているエネルギーの根源ではないでしょうか。
素晴らしい演奏会になることを心より念じ、お祝い申し上げます。

~市原繭、絶滅危惧種の音楽家~
杉山直樹(指揮者、日独楽友協会)

エキセントリックな人生と破滅的な生活を送りながら、音楽の為なら命を賭して権威や権力に胡坐を掻く人間と果敢に争そい闘う。
若い市原の芸術と、音楽への真剣に対峙する真摯な姿勢は尊敬に値する。
かつて音楽家とは常に教会、貴族、資本家、国家や党、そして何より自分の良心の受け付けない低俗な音楽と自己の良心を掛けて戦ったものだ。
このような義侠心を今日、日本の指揮者のほとんどが失ってしまった。
現代の音楽界では拝金主義が蔓延し、精神的背景を持たない指揮者が小手先だけのテクニックだけで持て囃されている現実がある。
市原のテクニックはまだ未熟かもしれないが、どうかその今時珍しい反骨精神から発散されるエネルギーを感じ取って今夜の演奏を聴いて欲しい。

~死に場所を探している指揮者~
好田タクト(指揮者形態模写を長年やっている芸人、東京演芸協会 )
崩壊の美学なんてかっこいいものじゃない!この指揮者は、人間が極限まで追い詰められて、破滅しそうになったらどんなものが生まれるかを、音楽という世界で自らの体で試している。
市原繭さんは「音楽のためなら死んでもいい」性分の人。
そんな殉教覚悟の人の口車に乗せられた演奏者は大変。綺麗な音楽を聴きに来たお客さんも大変。
しょうがない、今日の皆さんは、それが運命。
ほら、聞こえない? 指揮台に立ったマエストラの背中の叫びが!
「見て! 絞首刑台に立ったジャンヌ・ダルクの私を! 聴いて!送り人たちの魂の音楽を! なぜこの曲を選んだか、皆さん分かっているでしょうね!」
そして本番が始まる・・・市原繭さんの音楽を前に、我々はもう1歩もたりとも後には戻れないであろう。
だから皆さん、覚悟しよう 「市原繭のせいで、豪い目に遭うのだ」と!




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